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【レトロゲーム】ファイナルファンタジー3

ファイナルファンタジー3(FC版)は

個人的に印象深い作品です。

 

当時、私の中では

ドラクエがブーム真っ只中だったのですが、

休み時間に同級生が

得体の知れない固有名詞を口にしていて

それが何か気になったというのが

最初のキッカケでした。

 

ジョブチェンジ

「キャパシティ」という言葉が

とても新鮮で、

惹かれる何かを感じました。

 

時系列としては

ドラクエ3 1988年2月10日

ドラクエ4 1990年2月11日

ファイナルファンタジー3 1990年4月27日

という並びになります。

 

スクウェアエニックス

エニックススクウェアだった時代です。

 

 

ジョブチェンジ」や「キャパシティ」は

どうやらファイナルファンタジー3というゲームで

登場する用語だと知りました。

 

クラスメイトの中でも

ゲームそのものに興味ない/ゲームに入り浸っている

ファミコンを持っている/持っていない

そのソフトをプレイしている/していない

というような分類が生じてしまい、

小さなコミュニティの中ではありましたが

新しい情報を持っている者は

尊敬の念を周囲から集めていたように思います。

 

今でいう、イノベーター理論におけるアーリーアダプター

クラスの中にポツリポツリといて

私はどちらかというと

その流行を後で追いかける群に所属していました。

 

当時のコミュニティにおける情報伝達は

今思えば謎なことが多かったです。

 

インターネットも無い、

雑誌や書籍が出るまでに時間を要する、

という時代背景にも関わらず

流行のゲームや裏技の類が

確実に子供たちの中で情報が行き届いていたのです。

 

アーリーアダプターの傾向としては

結構年上な兄姉がいるという共通項がありました。

おそらく年上のきょうだいから情報を得て

それがクラスに広める供給源になったのでしょう。

 

話はファイナルファンタジー3に戻します。(以降FF3)

 

当時は音楽にどハマりしました。

ドラクエすぎやまこういちさんは

クラシックがベースだったことに対し、

FFの植松伸夫さんは

ロック(プログレスが好きだったようです)がベースでした。

 

どちらもゲーム音楽の発展に

大きく寄与した二大巨頭みたいな方なので

どちらが良いとかそういうことではなくて

性質や方向性の異なる素晴らしい作曲家だったと

今でも強く思います。

 

特にフィールド曲の「悠久の風」は

3和音で作られた曲にも関わらず

今も色褪せずに原曲を聴けてしまうのは

制限された音数においても

核心に迫る音の配置だったためなのでしょう。

 

最初のボスを倒して外に出ようとすると

FFのメインテーマが流れて

オープニングロールが出てくるという演出は

何かが始まりそうな高揚感を上げてくれました。

 

ゲームスタート直後にオープニングが始まるのではなく

少しプレイした後でオープニングが登場するのは

とても斬新だったと振り返られます。

 

ゲームバランスも非常に秀逸であり

某有名タイトル2作目とは大きく異なり

誰がプレイしても、難し過ぎず、

かつ易し過ぎないというレベリングが素晴らしかったです。

 

 

記憶を語ると止まらなくなってしまうので

本題に入っていきます。

 

FF3で最も衝撃的だったのがラスボスなので

そのバトル曲について語ります。

 

 

最後の死闘(ファイナルファンタジー3 FC版)

植松伸夫 作曲

youtu.be

 

最後のダンジョンに入ってからは

セーブポイントが無く、

そこから緊張感をずっと抱えながら

ヒヤヒヤさせられるのです。

 

しかも、四天王みたいな中間ボスもいて、

それぞれが何らかの能力に特化した

強烈なボスキャラなので当然、

途中で全滅してセーブポイントまでやり直しが

平然と起きてしまいます。

 

超難解な洞窟を抜けて

白銀の世界にたどり着いたら

雑魚キャラが強過ぎて全滅させられる、

みたいな理不尽さは無いのですが、

一撃で致命傷を負わされる、

強力な全体攻撃で追い詰められる、

死亡確定特殊攻撃で嫌らしくチクチクされる、

状態異常を遠慮なく付加していくる、

という変幻自在な戦いを強いられて

そこを乗り越えられたときに

ようやくラスボスへの挑戦権が得られるのです。

 

ラスボスは…というと、

初見ではまず強力な全体攻撃で

一気に押し込まれてしまいます。

 

負け確定のイベントかもしれないと

期待してみたものの、全滅したら

ちゃっかりゲームオーバーという仕様です。

 

このラスボスのBGMが

「最後の死闘」であり、

ラスボスの技のSEと相まって

最高に聞き応えのある曲になっています。

 

このことを語りたいがために

今日のmed-Aを執筆したのですが、

そこに至るまでの補足事項が多過ぎて

何だかんだで長文になってしまいました。

 

きっと、このような思い出補正が

ゲームを面白くさせるし、

長い年月が経過しても

人の心に残るのだと思います。

 

名作というのは、

人の心に長らく残って

あたたかい気持ちをもたらせてくれるもの

だと信じています。

 

DS版FF3も非常に優秀なリメイクの部類に入りますが

この思い出補正のせいで

どうしても原作を好いてしまうのは

人間の心理や性質がそうさせるのでしょうか。

 

リメイク版の「最後の死闘」は

原曲を相当に意識して作られているので

原作へのリスペクトや愛を感じられるにはいられません。

 

ゲームを制作するにあたり、

プレイヤーの心と記憶に残るような作品を

目指したいと改めて思いました。

 

発売から30年以上たった今もなお

ラスボス戦の高揚感は忘れられません。

そんな作品を制作できますように。